2018-11-30 第197回国会 衆議院 文部科学委員会 第7号
○吉川(元)委員 済みません、ちょっと最後の答弁がよくわからなかったんですが、コクサイ課と言われたんですか。コクサイというのは、インターナショナルの国際。
○吉川(元)委員 済みません、ちょっと最後の答弁がよくわからなかったんですが、コクサイ課と言われたんですか。コクサイというのは、インターナショナルの国際。
以前は、これも第三セクターですけれども、財団法人国際見本市協会が運営する大阪コクサイホテルというのがあったんですけれども、立地が余りよくないということで、非常に累積債務が重なりまして、実質破綻して、そこを共済が引き取ってホテルを建てて、ぜひ、この場所にホテルがなくなっては困るということなんですよ。
これが、だんだん金融が自由化されていくということになりまして、特に最初は二つのコクサイ化と言われていましたが、国際的な金融の流れ、もう一つは国債がどんどん市場に出ていったためにマーケットが形成される。したがって、規制を行って金融を行うという仕組みがだんだん崩れていくということが起こるわけであります。
そうすると、当時よく二つのコクサイ化と言ったものですが、そういうインターナショナルの方の国際化が壊れて、資金移動が自由になる。と同時に、大量の国債発行が始まったものですから、規制金利の時代のようなことをやっていたのでは国債が売れない。したがって、やはり国債は市場の金利を尊重して出さなきゃいけないということで、二つのコクサイ化で金利規制に風穴があいたわけですね。
大臣は三月十一日に受けた新聞社からのインタビューで、ことし一月十七日に大阪市内の大阪コクサイホテルで新たな談合組織を結成したというゼネコン各社からの事情聴取を開始すると述べられています。建設省は十二日から各社の東京本社担当役員らから事情聴取を開始した、そう言われていますけれども、これは事実でしょうか。
では、なぜ日本が金融自由化をやったかということ、これはよく言われますように、二つのコクサイ化、国債の大量発行と日本経済の国際化というこの二つに対応する必要があったというふうに説明されております。それはそのとおりでございます。 しかしながら、直接的なきっかけ、なぜ八四年五月だったかとかいうような問題を考えてまいりますと、日本の金融自由化には大変特徴的なことがございます。
○太田淳夫君 日本は国債の大量発行あるいは金融の国際化、これはどんどん進んでいるわけでございますけれども、この二つの「コクサイ」によって日本の金融の自由化というのはますますそのスピードが速くなっているわけです。
いわゆる二つのコクサイ化ということによって金融の自由化というものがどんどん行われ始めてきている。この自由化については総裁の、国内から自由化を進めていくのが原則じゃないかという御意見を今まで拝聴してきたわけでありますけれども、しかしまだ国内でも四畳半金利の態勢は残っているわけであります。
そういう問題があろうがなかろうが、何か二つのコクサイ化ということで新聞記者は言っておりますが、片一方の国債化、国内の国債が多量に発行される、あるいは借りかえの問題、そういう面でもかなりの影響というのは国内的にも私は生まれてくるんだろうと思うんですけれども、そういう意味では国内における金利の自由化というものがどういう方向で進められるのか。どの辺から手をつけていくのがこれからの課題なのか。
何がプラス面かと言えば、今のように二つのコクサイといいますか、国債の大量発行とそれから国際的な取引の進展という状況のもとにおいては、私どもの正面からいきますと、金利機能がますます活用されていくような場面がこの自由化を進めることによってできるのではないかということであって、昔のようにやや腕力的な規制でやる時代はもう過ぎておることは我々も気がついておるわけですが、それがますます金利機能を活用した間接的な
二つのコクサイ化。新聞紙上等でも我々見ておるわけでありますが、我が国の金融自由化というものはいよいよ本物になってきておる。これは今までは金融制度調査会でもいろいろ議論をされてきたと私も理解をしております。それで、この金融の自由化の中で、やはり金利の自由化というのが一つの大きな焦点であろう、私はこう思います。
○宮本(保)政府委員 おっしゃるとおりでございまして、いわゆるインターナショナルの国際という意味と、それからいわゆるポンドの国債、二つの「コクサイ」の与える影響は大変大きいと思っております。
○澤田政府委員 金利の自由化の問題は大変大きな話題を今日提供しているわけでございますけれども、二つのコクサイ化ということで、国債の大量発行あるいは日本の金融機関の金融活動の国際的な活動の高まりというようなことから、金利の自由化というものが避けられない時代の流れであるというふうに言われているわけてあります。
この点につきましては、冒頭澄田日銀副総裁からお話がございましたとおりで、「二つのコクサイ化」と言われたとおりでございます。 まず、証券市場の国際化の進展状況を申し上げますと、外国投資家による対日証券投資は昭和二十年代後半からスタートしましたが、当初は投資額もごく微々たるものでございました。
自由化を避けて通れないものにしている背景は、俗に「二つのコクサイ化」と申しておりますが、やはりその点が大きいと思います。 第一のコクサイ化、これは国債の大量発行に伴う金融市場の変化のことでございます。昭和五十年度以来年々多額の国債発行が継続しておりますことから、今日では幅の広い、そして奥行きの深い国債市場が成立しております。
○政府委員(鴨光一郎君) 私どもは、金利の自由化自体につきましては、郵政省が主張する、あるいは郵政省がそれをリードして実現させるという性格のものではないと思っているわけでございますが、自由化というものは、金融の国際化あるいは国債の大量発行、いわゆる二つのコクサイの問題等からして起こってくる避けられない傾向であろうというふうに受けとめておるわけでございまして、その意味において郵政省と申しますか、郵便貯金事業
これは第四回定例会の四十年六月二十八日、コクサイホテルの七階において出席されておるわけです。それから、その後第五回の定例会は、同じコクサイホテルで關谷代議士が出席されたのですが、多田自動車部長も出席なさっております。それから、今度は第六回は、四十一年六月二十三日、有馬の向陽閣で關谷代議士、上原陸運局長も列席なさっております。 こういうふうにたびたびこういう業者の会合においでになっていること。
○沖本委員 二月四日にコクサイホテルへ行っておられるのです。土曜日です。そういうわけですから、そうすると、残務整理で出張されるということは、それ以前に出張されておって、それに御出席になった、こういうことになるわけですね。
○沖本委員 常勤であると、その方が任地におもむかれて、現大阪陸運局長をあわせて歓送迎会をやるということになったその場所は、大阪のコクサイ・ホテルなんですが、その日はちょうど日曜であったということではないと思うんです。そうすると、出張するときには必ずあなたに了解を求めるなり、何なりの名目で出張するということをおっしゃっていくはずなんですが、あなたが御存じないということはないと思うんです。
○沖本委員 こまかいところに触れていきますが、新聞記事から読んでみると、前任者と後任者とが――この場合は安富さんと上原さんがコクサイ・ホテルで協会の会合に出席されて、三百人ほどの前で三十万円のせんべつを手渡された、こういうことになるが、現任者は、安富さんは陸運局長として行っているわけです。上原さんは、やめた方はこっちに帰っているわけですね。
大阪東区のコクサイ・ホテルで、大阪タクシー協会の多島太郎会長から三十万円のせんべつを受け取ったことは事実である。そのことに関してあなたの了解をちゃんと得てあるということなんですが、了解を得られたでしょうか、どうなんでしょうか。